「月刊WiLLの連載中止とその真実、AVを糾弾する女性弁護士」

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19歳のMさんからご相談がありました。ご本人のご了解を得て、このブログ上でお答えいたします。

Q. 村西とおるさんの事をBAZOOKAを見て知りました、自分は起業して会社を成長させてお金持ちになりたいという夢があります、社長さんに会ってアドバイスを貰ったりしたのですが、今後の方針が決まらないです。親には専門学校留年して卒業して就職しろと言われています。自分は学校に行くよりも起業に向けてなにか行動して一歩でも先に進みたいです。人生の目標が成り上がる事しか頭にないです。アドバイスをお願いいたします。

A. お便り拝見しました。自分がどんな存在であるかは、自分で決めることではありません。人間は社会的な存在です。自分への評価は社会に出て決まるものです。向き、不向きは、まず行動することで学ぶことができます。命が奪われるわけでもないのですから、たった一回の人生です、思い切って信じるままに行動されてみてください。人の評価によって自信や生き甲斐を持つことができるのは何もSEXのことばかりではありません。限界は全て自分で決める限界です。

このことを弁えた上で行動なされるにあたって、せっかく専門学校に行かれたのですから、卒業されてからでもよいのではないでしょうか、と考えます。人生は慌てふためいて行動しなければならない程、短くありません。
ご健闘をお祈りしています。またお便りください。
 
 
 

先週末、出版社の飛鳥新社に行ってきました。
 
月刊WiLLの花田編集長が出版元のワック出版を辞めて飛鳥新社に移られたために、ご挨拶にお伺いしたのです。
 
花田編集長は飛鳥新社から新しい月刊誌を出される、とのことでした。
 
これまで2年余りの間、月刊WiLLで人生相談「人間だもの」を連載させていただき、花田編集長にはお世話になっておりました。
 
ワック出版からは前日に、月刊WiLLの「人間だもの」の連載は中止させていただきます、との手紙が来ておりましたので、今までのお礼を申し上げなくては、との思いでした。
 
マスコミでは花田編集長が、WiLLの編集長をやめたことで色々と良からぬことが書かれておりましたので如何なされているか心配しておりましたが、花田編集長はいつにもましてお元気でした。
 
開口一番、「監督の連載の方は、新しい飛鳥新社から出す月刊誌の方で引き続きお願いするのでよろしく」と言葉をかけていただいたのです。
 
手前どもにとってもこの「人間だもの」の人生相談は情熱を入れて取り組んでいたものです。
 
その言葉をお聞きして正直なところホッと胸をなで下ろしました。
 
自分の利益ということよりも、これで花田編集長に何とか恩返しができそうだ、と思ったからです。
 
つたない文章ですが、ブログや雑誌や活字メディアに綴り方をするようになったのも、花田編集長のお陰があってのことでした。
 
15年程も前のことです。角川出版社から出ていた隔週刊の「メンズウォーカー」の編集者がやって来られて「弊誌で”人生相談”をやっていただけないか」とお申込みを受けました。
 
他人さまに「人生相談」をすることがあっても「人生相談」を受けることなど、とても荷が重いように感じられて最初はお断り致しました。
 
実際のところ50億円の借金を背負って、返済に日々悪戦苦闘を続けておりましたので、とても他人さまの相談に乗るような状況ではなかったのです。
 
できるなら、コチラの相談に乗っていただける方がどこかにいないものかと、目の色を変えていた有り様だったからです。
 
ですから「人生相談」など悪い冗談にしか思えませんでした。
 
しかし、やって来た担当者の方は「私どもの花田編集長が、監督でしかできない悩める人々への”励まし”があるはずだから、その言葉を摘んで読者に花束として届けたい、と言っています」と、心に刺さる口説き文句を申されたのです。
 
豚もオダてりゃ木に登る、と言います。されば、とエロ事師もパンツを脱ぎ捨てイボ痔丸出しで木に登って、連載をスタートさせていただきいた次第でした。
 
それまでまともに文章を書く訓練もしたこともなく、自分の文章力といったものには全く自信がありませんでした。
 
なにせ、学力の方は高卒、となっておりますが、中学時代は同級生670人中、後ろから4番目の成績でございました。
 
それまで書いた文章といえば、エロビデオの台本ぐらいです。
 
ただビデオパッケージのタイトルやキャッチコピー、解説は自分で全部書いていましたので、それらのビデオが次々と大ヒットを飛ばしていたことから、些か文章を「こなす」ことには自信を持っておりました。
 
が、「人生相談」など大それたことができるとは夢にも思っておりませんでした。
 
「聞き語り」やゴーストでなく、自分自身で全て書くことを条件に「人生相談」をお引き受けしたのですが、連載の方は4、5回続けば読者に飽きられて打ち切りとなるだろう、などと考えておりました。
 
無責任な、とお叱りを受けるかもしれませんが、そんな軽い気持ちでなければ引き受けることができなかったからです。
 
文章で生きていける力があるなら作家になっていました。文章でなく映像制作を目指したのは、自分の映像でなければ描けないものがあるからだ、との自負からでしたが、裏返せば文章コンプレックス故の強がりであったような気がします。
 
が、幸いにして「メンズウォーカー」の「人生相談」の連載の方は回を重ねるにつれて人気が上がりました。
 
担当編集者からも「監督の人生相談はウチの雑誌の連載の中でも一番の人気です。他の作家やマスコミ関係者からも、監督の連載から最初に読むことにしている、と大好評ですよ」との尻の穴を羽毛の筆でホジられるがごときコソバユイお褒めの言葉をいただくに至ったのでございます。
 
「メンズウォーカー」の連載は花田編集長が編集長をお辞めになるまで続き、文章を書く、という新しい世界のお勉強をさせていただいたのでございます。
 
連載が終わっても、アチラコチラの雑誌や新聞で文章を書かせていただく機会が増え、ブログで書いたものを「閻魔帳」なる本として、出版もさせていただきました。
 
こうしてAVから離れて文章の世界でのお仕事もさせていただくようになったのは、花田編集長の「メンズ・ウォーカー」への連載がきっかけとなったからでした。
 
AVの世界は自己流の独学で恩師などは持たない手前どもでございますが、文章の方では花田編集長は、「村西監督ならきっと面白いものを書けるに違いない」と数多いる書き手の中から手前どもを選んでいただいた恩人といえる唯一の方でございます。
 
その恩人が元気はつらつとして新しい出版社で羽ばたかれる姿を目のあたりにして、心から嬉しく感じました。
 
花田編集長は73歳です。「僕はポジティブだから、これからも新しい雑誌で頑張りますよ」と笑顔でお話になられていました。
 
ワック出版で、新しくWiLLの編集長になられた立林氏が「AV監督の人生相談や、爆笑問題の対談、等、の連載はWiLLにそぐわないものだったから、花田編集長には降板してもらう」と公式ホームページに書かれていたことについては「無礼だ!」と花田編集長は、甚くご立腹のご様子でした。

 

手前どもは2年間、爆笑問題に至っては10年もの間連載していたものを、一刀両断に切り捨てるとは、見上げた立林新編集長でございます。

 

そうしたことを斟酌せずに公式ホームページに書かれるとは、流石、人の悪口だけの人間、と評判の男のやり様、でございます。
 
世間さまから愛のムチを受けることなど日常茶飯事のことでございますので、新編集長の立林氏にいかに酷評されようとも毎度のことで痛くも痒くもないのでございますが、手前どもの連載を採用された花田編集長にとっては面目の立たないプライドの傷つくことであったに違いありません。
 
花田編集長がWiLLをおやめになった経緯は花田編集長のブログによれば次のようなものです。
 
WiLLの発売元であるワック出版の鈴木社長から2015年8月26日、花田編集長が次のようなことを言われました。
 
「花田さんが私のストレスになっているので、ハナダチルドレン、部員と一緒にどこか別の出版社でWiLLをやってください」。
 
花田編集長は”青天の霹靂とはこういうことを言うのだろう”とその時の驚きを述べられています。
 
原因は鈴木社長が14年11月に癌に侵され、手術すると声帯を失う恐れがあることから抗癌剤と放射線治療をすることになり、心身不安定になったことが挙げられます。
 
親しい関係にあった女性を急に専務にしたり、その代わりに営業部長氏を閑職に追いやり、ついには退任に追い込んだり、社員に突然キレて大声で怒鳴りつけたり、物忘れが酷くなりアポイントの時間を忘れたり、といったことが頻発するようになったといいます。
 
花田編集長も再三にわたって「他社へ移ってくれ」との鈴木社長の要請をうけて、仕方なく旧知の飛鳥新社の土井社長に相談し、WiLLの編集部を引き受けてもらう了解をとることができたのでした。
 
そのことを鈴木社長に報告すると、鈴木社長は「WiLLを譲るなんて言っていないよ」と言い出したのです。
 
「えっ、だって鈴木さんは編集部員を連れて出ていってくれ、と言ったでしょう」、「タダなんて言っていない」、の押し問答の末、「じゃあ、いくらで売るんですか?」「5億円だ、ビタ一文まけられない」と鈴木社長は言い放たれたのでした。
 
しかしこの出版不況下で、5億円も出す出版社はありません。花田編集長はやむなくWiLLを他社で継続して出すことを諦め、「ストレス」と言われた編集部員を連れて飛鳥新社に移り、新しい月刊誌を発行することにした、という顛末です。
 
温厚な花田編集長がいつになく「あいつだけは一生許さない」と話されたのが…
この続きは「まぐまぐ!」でお読みください...
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