SMAPが解散することとなりました。
解散の引き金を引いたのはジャニーズ事務所の女帝メリー副社長でございます。
週刊文春のインタビューを受けて「マネージャーの飯島なんぞはいつでも辞めてもらう」との人でなしの啖呵を切ったことに端を発します。
飯島女史とて鳴かず飛ばずのSMAPを、日本の、どころかアジアのSMAPとして成功させてきた自負がございます。
SMAPを日本一のアイドルグループに成長させ、芸能界において「やり手」と評価されてきた有能な人物でございます。
それを「いつでも辞めてもらう」とその辺の小娘扱いをされては、いたたまれない気持ちになったことは十分に推測できるのでございます。
兄のジャニーと娘のジュリーだけが大切大事で、他はみんな使い捨ての駒、との妖怪メリーの人を人とも思わぬエゴイストな生き方が招いた「SMAP解散」でございます。
飯島女史のこれまでのジャニーズアイドルの殻を破った「バラエティに積極的に出演させる」という戦略によって、SMAPは日本のトップアイドルへと躍り出て、その人気は頂点を極めたのでした。
今では当たり前になっているジャニーズタレントのバラエティ出演は、当初ジャニーズ事務所内では反対意見が多くを占めていました。
それを「私にまかせてください」と強引に押し切って成功に導いた飯島女史は、今日年商1千億ともいわれる、日本一の巨大事務所を作り上げた最大の功労者というべき人物です。
その功労者を「小枝をヘシ折るがごとき」扱いをしたことが、メリーの運のつきとなりました。
芸能事務所は人を扱う仕事です。
人を大切にする心を喪失し、バター犬のマッチを傍において可愛がっているだけが生き甲斐、に堕ちた妖怪メリーの、人を人とも思わぬがごときの暴言によって、ジャニーズ崩壊の幕が切って落とされたのでございます。
SMAPのみならず、このところでは、ジャニーズ事務所の看板グループである「嵐」の人気の凋落ぶりも著しいものがございます。
出演した番組は、これまでのような数字を獲れずに「神話の崩壊」がはじまっています。
後を託されることになる娘のジュリーは「人望、マネジメント力、創造力」に欠け、ないない尽くしのブランドモノ好きの食べ過ぎ豚ノータリンジャジャ馬娘、でございます。
ジャニーやメリーが棺桶に片足どころか胸までドップリつかっている状況で、とてもではありませんが、今後巨大ジャニーズ事務所を引き受けていく器量を持ち合わせておりません。
いずれ遠からぬ日に他の芸能事務所の草刈り場となって沈没する運命となりましょう。
日本の芸能界の最大のガンであるジャニーズ事務所の消滅は、芸能ジャーナリズムの新しい夜明けでもあります。
これまでジャニーズ事務所のスキャンダルを暴くことは「ご法度」とされてきました。
「僕ってどこの事務所かわかるよね」とオバカなジャニタレの強圧的なふるまいでどれほどテレビ局のスタッフや女性タレントが理不尽な扱いを受けてきたでありましょうか。
「なにがあっても大丈夫、ウチはジャニーズ事務所だから、スキャンダルなんて簡単に潰せるから」との増上慢なジャニタレのやりたい放題の行状を苦々しく思っている芸能関係者はどれほど多いかもしれません。
ジャニタレなら視聴率を獲れる、との幻想に取り憑かれたテレビ局関係者によって「ジャニーズの快進撃」が続いてきました。
しかしこの度、「SMAP解散」により遂に、パンドラの箱が開くこととなって、もはやそうした幻想に取り憑かれて安易なテレビ番組制作を行っていては自分たちにも明日がないことを明確に意識するきっかけとなりましょう。
そしてそれは芸能ジャーナリズムにとっても、本来の役割である「真実を伝える」という使命を果たす季節の到来ともいえるのです。
最も注目されているジャニーズタレントのスキャンダルには一切触れずに、弱小事務所やあたりさわりのないタレントだけをやり玉にあげてお茶を濁しているような情けなさ、とはオサラバする好機でございます。
クスリ、暴力、女性関係、とこれまで明らかにされることがなかったジャニーズの悪ガキの悪行が、今こそ白日の下にさらされることが期待されます。
先日、20数年来の付き合いがある写真週刊誌の記者からお電話をいただきました。
随分と久しぶりのご連絡です。
今は写真週刊誌の記者の仕事を辞めて、介護の仕事に携わっている、との話でした。
彼が長年勤めていた写真週刊誌の出版社を辞めたきっかけは、所属していた写真週刊誌が「バーニング周防社長を囲む会」を開催することになったことによるものでした。
寝食を忘れてスクープ報道に命をかけてきた彼にとって、上層部の権力へのすり寄りは受け入れ難いものでした。
命を削り、自分の志してきたジャーナリズムとは何であったか、と行くべき道の羅針盤を失い、身を引くことを決断したのです。
彼が介護の仕事に就いたことは、手前どもには祝うべきことに思えました。
1年中休むことなく張り込みや情報収集の時間に追われ、現役時代の彼は、寝る暇もないほどに過酷な労働の日々を送っていました。
いつも顔は青白く浮腫んで精気がなく、気だるそうでした。
あのままではきっといつか体を壊してしまうのではないか、と心配でした。
そして激務の果てに、彼は倒れたのです。
そのことも、写真週刊誌の記者を辞める一因となりました。
芸能ジャーナリズムは面白い、そこに人間の絶頂の天国と失意の地獄があるから。それは人間とは何か、を教えてくれる格好の戦場でもある、と芸能報道に情熱を燃やしていた彼を失望させたのは、上層部のバーニングやジャニーズ事務所の報道の自主規制です。
それは、「雑誌が生き残るための苦渋の選択」であっても、第一線で命を的にかけ、戦いを強いられてきた戦士にとっては「冗談じゃないよ」と、受け入れることのできない、勝手な企業の論理でした。
大手芸能プロダクションの壁に阻まれて、飯島女史は芸能界を追われ、知人の芸能ジャーナリストは介護の仕事へ転職をはかりました。
人間にとって一番悲しいことは、自分が無用の存在だと知らされた時です。
そうした無念の思いにかられた彼らを気の毒に思います。
自分は決して役に立たない人間でも無用の人間でもない、と再びの捲土重来にかける有為の2人の明日の健闘を願うのです。
ジャニーズ事務所の女帝メリー副社長と娘の小妖怪ジュリーと、20数年前、小学館の会議室で田原俊彦さまが手前どもの専属女優の梶原恭子さまとオ〇ンコをヤッた、ヤらない、の真贋論争をいたしました。
その時感じたことは、このメリーとジュリーにとって自分の事務所のタレントの名誉や心などどうでもいいのだ、ということです。
真に自分のところの所属タレントを可愛いと思っているのなら、あんな場所に、首実検をするために所属タレントの田原俊彦さまを連れてくるはずがないのでした。
大事なタレントは奥座敷に飾っておき、日常のトラブルは事務所スタッフが前面に出て解決する、というのが常識的なやり方です。
それをメリーとジュリーの妖怪母娘は張本人の田原俊彦さまを土俵に引っ張り出してきて、裸踊りをさせるがごとき愚行を働いたのでございます。
あの折にも田原俊彦さまに「あなたもお気の毒だね、オ〇ンコをヤッた、ヤらないの論争の場に引きずり出されて」と申し上げましたら、ただ目を伏せてうつむいているだけでした。
この度の1月のSMAP移籍騒動の時も、妖怪母娘はSMAPをテレビカメラの前にさらしたのでございます。
ジャニーズ事務所の「これが反乱をくわだてた者に対する制裁だ」といわんばかりに、でございます。
ああしたことは本来ならば事務所の社長がメディアの前に出てきて一件落着の記者会見をすれば済むことでございます。
が、妖怪母娘は決してメディアの前に姿を現しません。
裏方に徹しているから、ではありません。弟のジャニーがメディアに登場しないのと同じく、その醜顔をテレビカメラの前にさらせば、目を覆いたくなるような本性の性悪さが露見するのを恐れる故、でございます。
ジャニーと姉のメリー、娘のジュリーは口では「タレントが大事」などと気の利いたことをホザいておりますが、大切なのは自分たち家族のみでございます。
本来ならば「少年姦」の罪で、長き別荘暮らしのおつとめをしなければならない変質者ジャニー喜多川。
亭主なきあとはマッチに入れあげ、このバター犬をジャニーズの跡目、と仕立てあげる妄想を抱き続けている妖怪メリー。
そして娘の、母親譲りのヒステリーと傲慢さだけが取り柄の小妖怪ジュリー。
こんな面妖な面々が日本の芸能界を牛耳っているのでございますからお笑いぐさでございます。
手前どもはかねがね、ジャニーズ事務所の「ジャニー、メリー、ジュリー」は「ウンコだ」と申し上げております。
その意味は、もはやこの世に何の益ももたらすことのない「物質」であるからです。
この「ウンコ」が1日も早く日本の芸能シーンから消え去ることを願ってやみません。
いずれジャニーズのファンも自分たちが熱中していたものが真のエンターテイメントとはほど遠い、世界に通用することのない幼稚園の学芸会レベルの稚拙なものであったことを思い知ることになるは時間の問題となるに違いありません。
SMAP解散の余波は手前どもの周辺にもいささかさざ波となって押し寄せてきております。
かねてから…
