「ポジティブに生きること、夜道で声をかけてきた麗しの女性」

夕刊紙から「おふくろメシ」の取材を受けました。

「おふくろメシ」とは母親が作った料理のオカズ、のことです。

取材を受けて、気がつきました。「おふくろメシ」が思い浮かばないのです。

いわずもがなのことですが、手前どもの幼少時代は、喰うや喰わずの飢餓状態でございます。

父親が傘修理の行商をしていた、という我が家が特に貧しかったという事情ばかりではございません。

終戦後、焼け野原となった日本は、再建途中で、日本中がその日暮らしで飢えていたのでございます。

よって母親が台所で料理をしていた、という思い出がないのです。

福島県の田舎町という環境もあったでしょうが、まず家に水道が引かれていませんでした。

ご近所に1カ所、地主の大家が所有する「公衆水道場」がありました。

そこへ毎朝バケツを持って水を汲みに行き、家の中にしつらえてある大きな水ガメに貯めて使っていました。

その水道の水を、町内会の10家族が共用で使っていました。

水ガメの水は飲んだり、食器を洗ったり米を研いだり、野菜の泥を落とし、顔を洗い歯をすすぐ、日常水として使っていました。

肉や魚などは滅多に口にすることができず、日常食卓に上るのは麦飯とみそ汁と、大根か白菜の漬け物の一汁一菜のみでございました。

たまに夕飯時に近くの惣菜屋から買ってきたコロッケが食卓に乗るのが何よりのご馳走でした。

手前どもの町内会の住人たちはほとんどが大工、水道修理工、土工、畳職人、ペンキ屋、などの自営業の人たちでした。

どちらさまも子だくさんの負けず劣らずの貧乏暮らしでございましたので、似たり寄ったりの、肉や魚とは縁のない貧しい食卓であったように思われます。

故に「おふくろメシ」と言われても、料理らしい料理を口にしたことがないのですから、思い浮かばないのも当然のことでございました。

なにせ、家には冷蔵庫がありませんでした。

冷蔵庫が各家庭に入るようになるのは中学になってからです。

家庭に冷蔵庫が設置されるようになって、ようやく肉や魚の流通がはじまり、口にする機会も増えたのです。

その同時期に水道も、「町内会に1つ」からそれぞれの家に引かれるようになりました。

都市ガスも一緒に整備されてどの家庭にもガスが行きわたり、それまでの薪や炭を使っての料理から、ガスによる料理が可能になったのでした。

台所に母親が立ち、料理の素材を冷蔵庫から取り出し、水で洗い、ガスコンロで炙ったりフライパンで炒めて料理をする、という今日に至る豊かで近代的な「おふくろメシ」にあずかる中学時代にも、手前どもには「おふくろメシ」の記憶がありません。

「傘の行商」という不安定な家庭の経済を助けるために、母親が朝早くから夜遅くまで外に働きに出ていたからです。

母親に料理を作って貰う機会がほとんどありませんでしたので「おふくろメシ」の記憶がないのです。

「おふくろメシ」と言われて思い出す料理が一つだけあります。

味噌おむすび、です。

毎週日曜日になると、母親は特大の味噌おむすびを2つ、作ってくれました。

それを新聞紙に包み、風呂敷で腰に巻いて朝早く家を出ました。そして裏山で虫や蝶を追い、川で魚を釣り、日が暮れるまで友達と遊ぶのでしたが、楽しみは昼に食べる、母親が作ってくれた味噌おむすびでした。

オカズは何もありません。麦飯に生の味噌がベットリと塗られてあるおむすびだけでしたが、その味は格別に美味しく感じられました。

腹が空いていたから、は勿論ですが、母ちゃんが握ってくれたおむすび、は母親の味がしたからです。

毎月一度は、歩くと5時間で登ることができる郷土の名峰「水石山」の山登りをしました。

朝7時に出発してちょうど昼メシ時の12時に山頂に登りつく、という行程です。

途中出会う野ウサギやキジを追い、一気に山頂まで登りつめました。

水筒の水と味噌おむすびを交互に口に詰め込みながら、眼下に広がる「いわき平野」と、彼方の太平洋の、コントラストの美しい風景に勝る絶景を、今日まで知りません。

秘かな願いは、逝った後、風になってあの山頂にそよぐ松の木に辿り着くことです。

「うさぎおいしかの山、こぶな釣りしかの川」の「ふるさと」の原風景がそこにあるからです。

あの、福島いわきのこれからの移りゆく様を小春日の中、かげろうのようにたゆたいながらジッと見つめていたいのです。

18歳で故郷の福島を出てから20年間程、田舎に帰ったのは数えるほどしかありませんでした。

母親に男の影を感じていて、帰るのが憚られたからです。

中学3年生の時、父親とは別れていた母でしたから、別に男ができても何も問題ないのですが、何故か心情的には受け入れられないものがあり、田舎の実家からは遠ざかっていたのです。

母親の、父に代わって男になった男性を一度だけ見たことがあります。

早朝、母屋から母に見送られて出て行く男性の姿を、庭の自分の部屋から偶然目撃してしまったのです。

母親と父は10歳ほど離れていましたが、その男は父よりずっと若く、母親と同じ齢ぐらいに見えました。

高校を卒業して東京に出たのは、母親の新しい人生に自分がいると邪魔になるのでは、との考えからでした。

母親が父と別れて新しく歩む人生に、血気盛んな息子がいたならば、必ず水を差すことになるに違いない、と思ったのです。

田舎を出てから20年経ち、頻繁に帰郷するようになったその頃には、もう、母親にどんな男がいようと、いくらでも受け入れることができる大人の男になっていました。

あの朝目撃した男性とは、その後どうなったか、母親に聞くことはありませんでした。

母親は出戻りの次姉と一緒に、街の路地裏でおでん屋を開いていました。

ある時、久しぶりに田舎の家に帰ってきた手前どもに向かって次姉が唐突に「母ちゃんに、お前から文句を言って頂戴」と言うのです。

「何を」と問いますと、「母ちゃんたら、お店のお客さんに齢を誤魔化してトラブルを起こしているんだよ」とふくれっ面です。

母親は台所で料理をしていましたが、こちらの話に耳をそばだてているのが分かります。

「お客さんにずーっと、自分は48歳だ、ってウソをついていたんだよ。そのお客さんは30代の真面目な独身男で、母ちゃんのことが本気で好きになってしまって、10歳ぐらい年上でもいい、と真剣に結婚まで考えていたみたいなんだ。

ところがどこかで母ちゃんの本当の齢を誰かに聞いたみたいなんだよ。”とっくに70歳を過ぎている”ってね。そしたらその男の人が店にやって来て、”ママ、酷いじゃないか、20歳以上もサバを読むなんて”って泣くんだよ、ワァーッて手放しでね。

お店には他のお客さんもいるから、みっともなくって、どうしようかと思ったんだよ。よくもあんなウソを平気で言えるもんだって、実の母親でも呆れてモノが言えないよ。だからお前から、もうあんな罪作りなウソは言わないように注意して頂戴よ」とおカンムリでございます。

母親は、次姉が話し終わるのを待っていたように、台所で作った料理をのせた皿を持って食卓の上に並べながらこう言うのでした。

「何言ってんだよ、コッチも客商売じゃないか、お客さんに気に入ってもらおうと思って10や20の齢をサバ読んだからって、何が悪いんだよ、あたしが”48歳”と言ったら、ああ、ママは”48歳の女”という役を演じているんだ、と思えばいいんだよ、嫌なら来なくてもいいのに、勝手に惚れたの好きだのと言って、挙句、”騙された”って騒ぐなんてトンデモナイ男だよ。あんな心の狭い男はコッチの方から願い下げだよ」とタンカを切るのでございました。

流石、我が母はAV監督となる男を生んだ女丈夫でございます。

睨み合う母と次姉の前に、今さっき母親が台所で作った料理が皿に盛られてありました。

豚モツとネギを味噌と酒と砂糖を加えてタップリの食用油で炒めた料理です。

料理からは湯気が立ちのぼり、食欲をそそられる匂いが漂っています。

箸でつまんで口に入れると、これまで味わったことのない旨味が口の中に広がりました。

ネギのシャキシャキ感と豚モツのモッチリ感が、ほどよいハーモニーの食感となり、胃の中におさまっていきます。

酒と味噌の効果で、豚モツ特有の臭みが消えていて、いくらでも食べられる気がしました。

思い起こせば、母親の作った料理らしい料理を食べたのは、この時がはじめてのような気がします。

「こうしたらもっと味がしまって美味しいよ」と、母親は口いっぱいに頬張る手前どもに相好を崩しながら七味唐辛子を料理の上からふりかけました。

七味唐辛子のピリカラ味が、またモツと長ネギの味を引き立てて絶品です。

「これはウマイね、母ちゃん、ゴハンあるかい」と尋ねると、母親はどんぶりにゴハンを山盛りにして差し出してくれました。

「お前は東京で美味しいモノを沢山食べているのに、そんな豚モツ料理のどこが美味しいんだよ」と次姉は呆れ顔です。

しかし、美味しいものは本当に美味しいのですから仕方がありません。

アッという間にどんぶりメシと、皿に盛られたネギモツ味噌炒めの料理を平らげたのでございました。

以来、このネギモツ味噌炒めの料理が病みつきになりました。

これまで手前どもは、何百回も家で作って食べましたが、今もって飽きません。

母親が89歳で逝って10年が経ちます。願わくばもう一度、母の手料理であのネギモツ味噌炒めの料理を食べてみたいものです。

何度挑戦しても、ネギのあの時食べたと同じようなシャキシャキ感を出すことができないのです。

似ているようで少しだけ、どこか違うのです。

男のクセに台所に立つなんて、と昔気質の母親の叱る声が聞こえる気がします。

それでも、あの時のネギのシャキシャキ感に出会うまでは、台所に立って挑戦したい、と思う「おふくろメシ」の思い出です。

(※「ネギモツ味噌炒め」は今週土曜日、10月15日発売、日刊ゲンダイ「おふくろメシ」にて再現!ご参照くださいませ)

 

 

何事にもポジティブに生きている人はいくらでもいます。

例えば…

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