「敗戦から73年の夏 / 世界と日本を救うドレミング」

敗戦から73年目の夏を迎えています。

今更ながらに日本は、勝てないと分かっていたアメリカ相手に、何故あのような無謀な戦争を仕掛けたのでしょうか。

開戦当時の1941年のイギリスとアメリカの自動車年間生産台数は年間約500万台でした。

一方、日本は僅かに1万2000台にすぎませんでした。

自動車生産能力から比べて、日本は鬼畜米英の400分の1でしかなかったのです。

500キロの思いバーベルを持ち上げることのできる力自慢の男に、僅か1.2キロの重さしか持ち上げられないヘナチョコが、力比べの勝負を挑んだようなものでした。

どうしてあんな、必ず負けると分かっている相手に喧嘩を仕掛けたのか、と8月15日が来る度に首をかしげています。

言えることは、テレビの無い時代、メディアの主流を占めていたNHKのラジオや新聞がこぞって戦争をあおったことです。

新聞は売れればなんでもやる夜鷹商売です。

米英撃ちてし止まむ、と、威勢のいいことを書いて売り上げを上げるのに一生懸命でした。

もし反戦を主張しても「意気地なし」と読者から総スカンを喰らい、新聞が売れなくなるのがオチでした。

新聞は売れるためには平気で戦争を仕向ける「死の商人」です。

勇ましい記事を連日掲載しては、国民の士気を鼓舞しました。

戦前の日本国民は熱しやすく、日清、日露戦争の勝利を経て、「”神国日本”に負けはない」と国民全部が熱にうなされたようになって自惚れていました。

帝国陸軍のエリートも「国民が熱狂的に支持してくれている」と闇雲に戦争に突入していったのです。

統計によれば1943年頃の日本兵士の体格は平均体重が54キロで平均身長が1メートル61センチでした。

現在の中学2年生のレベルの体格です。

そんな小さな兵隊さんに40キロ以上の荷物を担がせて中国大陸を歩かせたのですから、戦争指導者たちはなんという無慈悲なことをしたのだろうと怒りがこみあげてきます。

東条英機以下、敗戦となるや「生きて虜囚の辱めを受けず」との戦陣訓はどこへやら、責任を取ることなく蜘蛛の子を散らすように雲隠れした無責任の伝統は、今日においても霞が関の官僚に受け継がれています。

太平洋戦争では310万人の日本人が死亡しています。内、民間人は80万人、兵士は230万人です。

230万人の兵隊さんの内、敵兵と刃を交えて、戦闘でお亡くなりになった兵隊さんは僅か1割5分に過ぎず、残りの8割5分の兵隊さんは戦わずして病に倒れたり、あるいは飢餓のために命を落としました。

民間人の死者は沖縄戦で10万人以上、長崎、広島で約15万人、3月10日の東京大空襲で10万人。

その他の都市へのじゅうたん爆撃により40万人の罪のない女、子供を含む一般の人々が無差別に殺されています。

死亡者の数さえ多くはなかったものの、凄惨を極めたのは国外で生活していた在外邦人でした。

北朝鮮や満州では、敗戦の5日前の8月10日頃には「終戦近し」の情報を手に入れた高級官僚や軍人の家族は爆撃機に家財道具まで積んでさっさと帰国していました。

しかし一般の市民は彼等が逃亡していることを知らず、「一億総玉砕」を信じ、これから本当の戦いが始まると意気込んでいたのです。

8月15日の玉音放送によってはじめて日本が負けたことを知らされました。

玉音放送が終わった後も、ラジオでアナウンサーは「国体は護持されます」「海外同胞の市民は軽挙妄動せずに現地にとどまれ、治安は維持される」と叫んでいました。

本来ならば、中国や朝鮮、ソ連の人たちの略奪、暴行、復讐を恐れ、一刻も早く日本に帰国するように促すべきでしたのに、今すぐ日本に戻られては、配給する食糧も底をついていたために棄民されたのです。

敗戦当時北朝鮮には、満州からの難民をあわせて35万人が放置されました。

それらの人たちは自力で北朝鮮から日本への引き揚げを余儀なくされたのです。

道中の行進は苦難を極めました。発疹チフスが大流行し、栄養失調のせいで多くの人たちが力尽きていったのです。

このまま野垂れ死にするよりも、せめて子供の命だけは救けてやりたい、と満州人や朝鮮人に幼い子供を預ける母親が続出しました。

引き揚げの途中、日本人の難民が集まっているとロシア兵が自動小銃を構えて「女を出せ」と脅してきました。

逆らえば皆殺しだ、という訳です。

難民の中から、元芸者だったり、未亡人だった人が2人くらい選ばれて人身御供に押し出されました。

翌朝、その女性はボロボロになって帰ってきます。

その女性に日本人の子供が近づいて行こうとしたら、「近寄っちゃだめだよ、悪い病気を持っているかもしれないから」と小声で囁く母親がいました。

本来ならばその女性に皆で土下座して感謝しなければならない場面なのに、です。(2018年9月号中央公論「絶望のなかにこそ一筋の希望がある・五木寛之」より)

この8月15日の敗戦の日が来る度に、同胞を見捨てても自分は助かりたいという人間の罪深き本性に改めて触れて、呆然とするのでございますが、この夏には広島、長崎へ、英国首相チャーチルが果たした役割が明らかになり、愕然としました。

公開された英国立文書館所蔵ファイルにより…

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