「”ジェラルド”と呼ばれた男」

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民放のテレビで、元NHKでジャーナリストの柳沢某氏が、NHKの与論調査で52%の国民が東京オリンピックを開催したことを「良かった」と回答したことに、司会者が触れ「そういえば、柳沢さんは開催には反対でしたよね」と問われました。

するとこの柳沢某氏は「そうだったかな、この頃はボケてしまって」と薄笑いを浮かべたのでございます。

このポンチ大将、これまであれほど「東京オリンピックは現在の新型コロナの感染状況では開催すべきではない」と自信タップリに語っていたのにもかかわらず、自分の意見の責任をとることなく誤魔化しに終始したのです。

公共の電波で何千万人の視聴者に向かい「東京オリンピック開催反対」と唱えていた立場であれば、正々堂々と「何故反対したか」について述べればいいものを、形勢不利と見るや、尻尾を巻いて負け犬ヅラをさらしたのでございます。

手前どもの口からこんなことは申し上げにくいのですが、なんという「軽薄さ」でありましょうか。このポンチ頭の害は、何兆円もかけたのにもかかわらず無観客開催となった東京オリンピックにおけるものだけでなく、今日の新型コロナの感染による規制の問題にも及んでいます。

我が国は先進7カ国の中でも最も新型コロナ感染者が少なく、犠牲者の数も人口比で数十分の一となっています。であるにもかかわらず経済は停滞し、本年度のGDPの伸び率はあれほど被害者を出したフランスが6.7%増となって、他の先進国も元に戻しておりますのに、我が国のみが最下位の伸び率となっています。

こうした状況では一日も早く元の生活を取り戻すために全ての規制を撤廃し、旺盛な経済活動が期待されるのですが、このポンチ柳沢某氏は依然として「ゆっくりと、慌てずに」と他人事のようなノンキなことを宣っているのでございます。

飲食店業者は、規制は緩くなったとはいえ従前のようにお客が戻って来ずに、泣きの涙でいるというのに、です。

人の痛みには鈍感というより、我関せずの、元NHK職員らしい薄情さでございますが、こんなロクデナシがいまだに公共の電波で重宝されていること自体が驚きであり、許せない気持ちでいっぱいでございます。

何がオミクロン株だ、でございます。

世界のどの国の感染者からも「デルタ株より重症者が多く出る」などとの報告がされていないにもかかわらず、またぞろテレビメディアは鬼の首をとったように「国内でのオミクロン株の陽性者は何例目です」とまるでペストやエボラ出血熱かのように騒いでいるのでございます。

大衆を不安に陥れ、恐怖を煽って視聴率稼ぎをして己のボーナスの糧とするような悪徳商法は、いい加減に止めにしたらどうだ、というのにでございます。

この「庶民の不安を煽ることが飯のタネ」のメディアのやり口は、かつての大東亜戦争時代から一つも変わっておりません。

戦前の米国と日本の国力の差は著しく、あらゆる統計をとっても日本は米国の国力の2割に満たないものでした。

どういう理由があろうとも、米国と戦っては勝ち目がないことは明らかでした。

政治評論家の元外務省職員でもあった著名な故・岡本さまは「私は山本五十六大将を尊敬していましたが、敗戦後、米国大陸を横断し、デトロイトの自動車工業地帯やその周辺の広大な工業地帯を目撃した時、何故こんな巨大な経済力を持つ大国と、資源もない日本が戦争をしたのかと山本五十六大将への尊敬の心が揺らいだ」と語っています。

冷静に考えれば、それぞれの国の経済力を数字で比較してみれば、逆立ちしても日本は米国に敵わないことは明らかでした。いわば東京の経済圏に茨城県や福島県が勝負を挑んで勝ちをおさめようとしているがごときの無謀なことだったのです。

しかし、どう考えても勝てない戦争を、あたかも勝てるかのごとくの幻想を国民に抱かせたのが、当時の主力メディアである新聞でした。

日中戦争時代、日本が中国戦線を拡大し、あの広い大陸の各地に軍を展開すると、連日新聞で「皇軍の往くところ敵無し」と一面で囃し立てたのでございます。

新聞が号外を印刷すると瞬く間に売れ続け、味をしめた新聞社はまた一面で「皇軍の大勝利」の記事を大きく掲載しては、国民の好戦欲を煽ったのです。

そして知らず知らずのうちに、「たとえ米国と戦争状態となっても負けることはない」、との根拠のない自信を持つようになったのでした。

その尻馬に乗って、軍部は中国大陸での拡大路線を続け、最後は米国から石油禁輸処置という最後通牒を突きつけられ、真珠湾攻撃の2時間前にはシンガポールを攻め、自滅的な米国との戦争へと突入していったのでございます。

こうした、国がいかに危うくなろうとも自分の新聞社が儲かればいいという「アコギな精神」が今日の新聞メディアやそれを親玉とするテレビ局に宿っているのです。

よって朝から晩までさしたる脅威でもなんでもありやしないオミクロン株を「恐い、恐い」と煽り続けているのでございます。

が、嘘で固めた煽り報道はいつまでも続くものではありません。客観的事実によって、オミクロン株はさしたる感染力も、重症化することもないことがわかってきております。

わざわざチンカスのテレビメディアは手を変え品を変え、飽きることなく「恐い、恐い、大変だ」商法を継続中でございます。

一時は人気だった「20万人死にます」のボッタクリバーの晴恵ママや、「42万人死にます」のクラミジア西浦教授などはそのメッキがはがれてすっかり姿を消しておりますが、この機会に火事場泥棒的に世に名を知らしめてひと儲けをしたい、という不届き者の感染学者は後を絶たず、次から次へと新種がテレビに顔をさらして「恐い、大変だ」とテレビ局の台本通りに吠えまくっている始末です。

こうした中で一体日本人は、どのタイミングでマスクを外そうとしているのだろうと不安がつのります。

が、インターネット会社の調査によれば「コロナ禍が過ぎた後もマスクをしたい」と希望する人が7割もおられるというのです。もはやマスクは「顔のパンツ」という認識だから、というワケです。

特に女性にとってマスクは便利なようで、「お化粧は目の周りだけで済むようになって簡単になった」との声が聞かれます。

また、マスクだけの顔に慣れてきて、外した時が恐い、という意見も多数寄せられています。

実際に、マスクをしていた時に想像していた顔と外した時の顔があまりにも違っていて、ドギマギしたことが少なくありません。

女性の顔はマスクをしていても見抜ける、との自信がありましたが、外した時の顔が想像と大きくハズれて自信が揺らぎました。

目だけの印象で勝負できるとなると、外見で判断されることの多い女性には有利に働くことになる気がします。

以前、惚れた銀座のママの着物姿の足首が見たくて4カ月近く店に通い、500万円を貢いだことがありました。

ようやく拝見できた時には子供を産んだことを思わせる太い静脈がふくらはぎの方に走っていて言葉を失ったことがありました。

全部顔をさらすことがハンディだった女性にとっては、またとない好機が訪れたと言ってもいいのかもしれませんが…..。

ZOZOの前澤さまがロケットで宇宙ステーションに行かれました。民間人では9人目、日本の民間では以前TBSに勤務なされた秋山さまに次いで2人目でございます。

秋山さまはその後、地球に帰還なされてから、どういう心境の変化からか農業の道に歩まれました。

前澤さまは宇宙ステーションでやりたいことを100ほど一般募集しており、それをこれから地球に帰還する20日までの間にやり遂げるミッション、とのことでございます。

ミッションといってもさしたる珍しいものは何もなく、ラジオの生放送をやる「オールナイトニッポン」とか、けん玉やバドミントンをやるといった平凡なものです。

これまで多くの宇宙飛行士がやるべき人類の課題というべきミッションや研究をやり続けておりますので、100億円の金にあかせて宇宙ステーションに乗り込んだ前澤さまにとって、他人さまがアッと驚いたり感じたりのやれることなどはほとんどなく、今更やって見せなくてもどうでもいいことだらけなのは、まさしく語るに落ちた話となっております。

宇宙ではまた「お金配りオジサン」らしく、「お金配り」をなされるとのことでございます。

これまで2万5千人の人に32億円を配ってきたとされる前澤さまでございますが、これほど感謝されないお金配りはないように思われるのですが、見返りを欲しくない分、ある意味では無償の愛の極地といえるものでございましょうか。

人にはそれぞれ希望や欲望がございますが、手前どもは大金を積まれても宇宙旅行はご免こうむりたい口でございます。

それは、何回かの当局による拘留経験を重ねるうちに閉所恐怖症になってしまったからです。狭い閉ざされたところに入ると胸の動悸が早くなり、呼吸が困難になってしまうのです。

この症状が最初に出たのはハワイの拘置所でのことでした。面会の知人に会いに面会室に入り、知人の顔を見た途端、動悸が早くなり、目の前がクルリと360度回転するような気配を覚えたのです。

アメリカでの面会は肉声での会話はできません。秀明な厚いボードで仕切られた向こう側にいる面会相手と、据え付けられている電話で話をします。

左右の足首は映画で見られるような鉄の鎖で結ばれ、5キロ程の鉄の塊がくくりつけられています。

両手は手錠を外され自由に使うことができるのですが、こうした不自由な状態におかれていることのストレスと、この先どうなるのかサッパリ出口が見えない不安が頭の中でスパークし、久しぶりに会った知人の前で発症したのでした。

思わず「助けて」と大きな声で叫びそうになりましたが。ここは落ち着かなければならないと必死に自分に言い聞かせ、辛うじて我を失うことから免れたのです。

面会が終了し、40人ほどの同房者と一緒の大部屋に戻り、発作はおさまりましたが、それから一日に2、3回は突然のパニック発作が起きて、往生しました。

その後、裁判を経て…