「枕を乗り越える女優たち列伝」

朝起きて台所に顔を出しましたら、女房ドノが歯ブラシを咥えたままの状態で米を研いでおりました。

弁護するワケではありませんが、女房ドノは普段はとても潔癖症でございます。

以前に近くのラーメン店の店主が、咥えタバコで仕込みをしていたことを目撃し「あんな不潔な店には二度と行かない」と憤っていたほどでございます。

であるのにもかかわらず、どうして歯磨きの歯ブラシを口に咥えたまま、米を研いでいたのでありましょうか。

もし口から漏れたヨダレが研いでいる米の中に落ちたらどうするつもりなのだと、潔癖症の女房ドノには似合わない姿に、戸惑ったのです。

が、そのことを女房ドノに向かってあからさまに指摘することはありませんでした。何故なら、ご案内の通りに、何倍にも、イヤ、何十倍にもなって返ってくるから、です。

善意で、とか、相手のことを考えてのアドバイス、といったものは通じません。

全ては自分に対する批判だと受け止められるからです。

批判を許さないのです。なにもアンタにイチイチ指図をされる必要はない、との独立独歩の精神の持ち主でございます。

女房ドノが性悪だ、というのではありません。それらは全て手前どもが過去にまいた種ゆえの自業自得でございます。

夫婦も長い間の関係を続けておりますと、時間とともにその立場は逆転してまいります。

夫婦となったはじめの頃は、オシッコやウンコの元になる食べ物を口に入れている姿さえ、恥しくて見られたくないとの羞恥心の世界の住人であった女房ドノも、出るモノ所かまわずで、食事中であるのにもかかわらず、どこの動物園のカバが出したのかと思うほどの大音響の放尿をして憚らないのでございます。

またその臭いときては肉食の野獣が飽食の果てに消化不良で出したかのような、鼻が曲がるほどの悪臭に満ちているのですが、本人は一向にマイペースで気にする様子はありません。

何故マイペースを貫けるのかと申しますと、立場が逆転してしまっているからです。特に手前どもの夫婦のように、女房ドノが18歳年下でございますと、女性の平均寿命が男性より7歳長寿であることを考えれば、これから先は少なくとも25年は女房ドノの方が長生きすることが考えられます。

25年もの長い間、自分の死後も生き続ける相手を向こうに回して戦いを挑むこと自体が無謀なことです。

不興を買えば、死後、生きていなかったことにされかねないからです。

死んでしまえばそれまでよ、と申しますが、死んだ後に生きていた証を全部始末されることを考えると、やりきれない思いとなります。

せめて長い間「夫婦の契り」を結んだ相手の心の中では生き続けたいと願うのが人情でございますが、女房ドノのご機嫌を損ねると「故人の遺志で骨は海に散骨しました」で終わるような気がいたします。

海といっても、故・石原慎太郎さまのように、わざわざ船を仕立て湘南の海に散骨に繰り出すということではなく、手短にトイレに流されるということです。

いずれトイレの汚水も処理場を経て大海原に流れ出るのですから、「海への散骨」もあながち間違いではないのですが、それにしても「トイレの便器に散骨」とは余りにも寂しい最期でございます。

「トイレにだけは流してくれるな」とは言いませんが、少なくとも生きている間だけは「トイレに」といった悲しい言葉を吐かれることのなきように、ただひたすらに女房ドノのご機嫌が悪くならないようにと気配りを怠らぬように努めております。

万が一にも「歯磨きをしながら米を研ぐなんて」と女房ドノを難詰しようものなら、味噌汁に鼻クソではすまされない…

 

 

この続きは「まぐまぐ!」でお読みください…

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